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懐古趣味

古いものが好きで、古い映画やら古い本なんか読んで、妄想のなかで胸を踊らせて日々をすごしています。

古いってだけで、おもしろい。そんな感情を抱くのはぼくだけじゃあないはず。現在でも未来でもなく、過去に存在した《確かさ》というものをなんだか夢見心地でぼんやりと吸い込む。はっきりと存在したはずなのに、時間というものがフィルターとなり、その存在に靄をかける。その靄をかき分けながら覗くという行為が好きなのかもしれません。

映画で言えば、その時代に在った《生活》。本で言えば、その時代に在った《思想》。それらは今もあるかもしれないし、ないかもしれない。でも、その時代にあったことは間違いないのです。自分が存在しなかった時代にも確かな生活や考えがあったのだという《痕跡》を追うことは文化の変遷というものを探る以上に、なにか、もっとこの世界の真理を探究するような、そんな行為だったりするのではないかなと思ったりするのです。

 ぼくの趣味のひとつに、昔の映画のロケ地を訪れるというのがあります。ロケ地というのはフィルムにも存在するし、現実にも存在する、映画と現実を結びつける場所であると言えます。フィルムは時を経ても、多少劣化する程度で、写っている映像は変わりませんが、ロケ地は現実に存在するので、どんどん変わってゆきます。男女が愛し合うシーンの舞台となったあの場所が、今はただの駐車場になっていたり、容疑者を追って、手に汗にぎるサスペンスを見せた、あの路地が今時の住宅街になっていたりします。ただ、全てが変わってしまったということはなくて、現在のロケ地にも映画の《痕跡》を見つけることができます。それを発見したときの喜びといったら。映画が現実に存在していたのだという確かな証拠を見つけたぞ、という高揚感は筆舌に尽くしがたい思いがあります。

過去は過去だから、現在には存在しない。そんなことはないです。過去も確かに現在に存在している。ぼくたちのまわりにはあらゆる過去がひっそりと佇んでいるのです。ぼくはそれをひとつひとつ見つけていくのが好き。過去と出会うことで、なにか現実社会で生きるヒントになるとか、未来に繋がるものを見つけようだとか、そんなことは全く考えていません。

現在から過去を覗く。そして、過去と出会う。ただ、それだけなのです。